大江健三郎『同時代ゲーム』

最初にこの本を買ったのは、20年くらい前だろう、どこで手に入れたのかも覚えてない、箱入りの単行本。大江の初期短編から『万延元年のフットボール』まで夢中で読んだ高揚感のまま挑んだが、多分1ページ目で挫折した。
その後単行本を手放し、また読みたくなり文庫本を買ったが、それも一章で挫折。
文庫本もどっかに行ってしまい、数年前『叫び声』を読んだ興奮のまま、再度単行本を入手したが、やはり一章で挫折。そのとき印象に残っているのは、「僕」が時限爆弾のテストのため夜の海に来たとき、釣り人のコマセの腐臭に苦しむ、というシーン。大江健三郎がそんなに釣りをしてたとは思えないが、どうしてこんな的確な描写ができるのだろう、と不思議に思った記憶がある。
そして先週土曜日、終日暇だったので、本棚で一番読みにくそうなこの本を手にした。終盤から面白くなるそうなので、とにかく今度は何がなんでも最後まで読もうと決めた。
読み始めると、一般的に難解と言われている第一の手紙はすんなり読めた。それは単にここだけ何回も読んでるからだが。
しかし、以降が苦行である。話が時系列でなく、手紙の形なので会話がない。ライブ感もない。そしていつもの長いセンテンス。
正直、主題とか、モチーフというのが、よくわからない。固有名の繰り返しは、効果的だろうか。私は疲れる。最後の手紙、わかったようなわからないような気持ちだ。
当時の時代背景とか理解してないと、書かれた動機がわからないということだろうか。とにかく、数年後に再読したら、また少し見えてくるかもしれない。その前に、この小説に影響を受けたという、伊坂幸太郎の『夜の国のクーパー』を読んでみよう。