CIRCLE '16

という福岡の野外フェス 2日目に行った。
目当ては細野晴臣とメタファイブ。
音楽フェスは初めてだったが、ファッショナブルな若者だらけで驚いた。テントを張ったりレジャーシートを敷いたり、みんなくつろいで楽しんでいる。フェス文化が根付いているんだなあと思わされた。
細野晴臣はさすがに見た目はおじいさん。今はブギウギにはまっているらしい。昔の曲では『北京ダック』を演った。
トリがメタファイブ。雨が降りだす中、それを吹き飛ばすクールで熱い演奏。どんむー!も素晴らしかったが、アンコールラストの『CUE』に痺れた。アルバム『BGM』はLPレコードを今でも持っている。リリースから35年。幸宏ボーカルを生で聴けるとは夢のようだ。
今でも音楽を好きでいられるのは幸福だ、としみじみ感じる。あのフェスに来ていた若い人たちも、20年後、30年後も音楽を好きでいてもらいたいと思う。

ガルシア=マルケス『族長の秋』

野心家であり小心者の大統領と彼に関わる人々の栄枯衰退を描いた小説。といっても時系列、語る人物が入り乱れていて、明確な場面切り替えもなく、シームレスに面白話が延々と続く。ひょっとすると、どこか一部をつまみ読みするだけでも楽しめるかもしれない。
それでもエンディングに大団円っぽい雰囲気になったので、最初から読み進めて良かったのか。
作品中で大統領や取り巻きは死んでいく。過去の話だから当然だが、保坂和志の言う「小説が存在するのは小説を読んでいる間だけだ」という意味では、作品を読み返すたびに、彼らは生死の間を行ったり来たり、存在している。

保坂和志『途方に暮れて、人生論』

保坂和志の文章には、常に一定の読みにくさを感じる。それは、わかりやすい結論に至らない彼の思考の運動のリズムが、ややもすればわかりやすい結論を求めて安心しようとする私(達)の志向とずれているからだろう。
私は将棋を少しするのだが、初段レベルから一向に上達しない。理由はわかっている。将棋を上達させる最良の方法は、長時間粘り強く感想戦をすることだという。成しえなかった可能性について結論が出るまで(実際は出ないかもしれないが)思考を巡らす、という訓練が、私には足りないのだ。将棋に限らず。
保坂和志の小説は読んでいる間にしか存在しない。それは、将棋の感想戦に勝敗や棋譜が残らないことに似ている。しかし感想戦なしに将棋の豊かさは感じられない。

車谷長吉『赤目四十八瀧心中未遂』

シンプルなストーリーで最後まで読ませる、最良のエンタメ小説だ。主人公は世間からズレている。災難と出会いが次々に訪れる。そして見事なエンディング。
車谷長吉生き恥を晒す私小説作家と言われるが、私はそう思わない。キャラクターやプロットを綿密に計算して書く優れたエンタメ作家と思うのだが、どうだろうか。

谷崎潤一郎『春琴抄』

青空文庫に掲載されていたので読んでみた。芸の世界に生きる春琴と佐助の純愛。谷崎作品は官能的とか耽美的とか言われるが、脇目を振らずに進むストーリーは、直線的で、なかなかスポーティだ。
というわけで体育会系に近いものを感じたが、例えばプロのアスリートのメンタルと日常も、この小説のように凡人の世界を超越しているのだろう。